【訪問場所 Visited Site】越川橋梁 Koshikawa Kyoryo(Arch Bridge) , Hokkaido, Japan
※文中の料金等は2018年7月現在のものです
今回は、北海道の観光ガイドにはおよそ掲載されない、超マニアックな北海道斜里町にある「越川橋梁」の訪問記です
歴史に埋もれた幻の鉄道橋「越川橋梁」は、今、戦争遺産/歴史遺産として人々の記憶に蘇りつつあります。
「越川橋梁」の所在地 Location Map
道の駅しゃりからは南東へ国道244号線を約15km南下したところにあります
道の駅しゃりにて
オホーツク海に面した道東の町・斜里町
たまたま立ち寄った「道の駅しゃり」にて、
何気なく地域の情報掲示板を眺めていたら、こんな気になる記事が目に止まりました
越川橋梁~輝くアーチ 悲史を秘め「渡らずの橋」と呼ばれる。そう、一度も列車が渡ることは無かった。
「タコ」と呼ばれ、強制的に働かされた労働者たちが築いた。朝日を浴び、黄金色に輝く。美しい。橋に染み込んだ汗と涙、血がそうさせるのかもしれない。
記事によると、
第二次大戦戦時下、軍事物資輸送のため旧国鉄根北線開通工事を強引に推し進めるべく道内全土から集められた「タコ」と呼ばれる貧しい労働者たち
過労、栄養失調、死など、多数の犠牲をはらって建てたコンクリート製10連アーチの越川橋梁は、結局一度も使われないまま「渡らずの橋」として歴史に埋もれてしまった…
というもの
そして、一度は人々の記憶から忘れ去られたこの橋でしたが、地元有志の働きかけで国指定有形文化財に登録
現在は、橋を題材にしたテレビドキュメントを制作して後世に伝える努力をしたり、毎年夏には地域住民も参加して、追悼集会が開催されているとか
そんな哀しい歴史が埋もれているとはつゆ知らず、のんきにクリオネちゃんで心癒されていました
この記事が目についたのも、きっと偶然ではなく何かに導かれた“ご縁”だと思って、すぐさま、車飛ばして向かいました
Google Earthでみる越川橋梁の所在地
わかりやすく、Google Earthで位置確認
244号線拡張工事の際に、道路にかかるアーチ2本は撤去され分断されてしまったらしいです
道路の西側に、広めの駐車スペースが設けられています
また、登録有形文化財の登録商標と案内標識が設置されていました
この駐車場側からは、分断された1.5連程度のアーチしか見えません
6連アーチへ行くには、川が流れている方向、道路を挟んだ向こう側になります
赤丸で囲んだところが入口で、踏み跡に沿って進みます
そのまま進むと、下へ降りるロープが張られています
ちなみに、雨のあとは泥がぬかるんでかなり滑りやすくなります
軍手や長靴があると超便利
いよいよ「越川橋梁」とご対面
生い茂る草木を掻き分け、水音のする方向へ降りていくと、幾品(いくしな)川という河原に行き当たります
長靴を持ってきていなかったので、靴を脱いで素足で川を渡ります
川は一見浅く流れは穏やかに見えますが、降雨後だったせいもあり、時折流れが早く、また岩も滑りやすくて何度も転びそうになりました
15分ほど格闘しつつ、なんとか中洲に到着
中洲には流木がたくさん転がっているので気をつけましょう
ふと見上げると、新聞記事で見たままの、あの「越川橋梁」がそびえ立っていました
思った以上に保存状態がよく、青空に映えて実にカッコイイですね
越川橋梁の大きさは、全長147m、最大地上高21.6mの10連アーチ橋
資材不足だった戦時下、鉄鋼材がなくてコンクリートだけで建てられているそうです
まだちゃんとした機械も資材もない当時、人力と執念だけで、約80年後の今に耐えうる橋
昔の人の技術力はすごいですね
越川橋梁は、騙されて集められた「タコ」という貧しい労働者700人は、借金をカタに強制労働を強いられ、過労と栄養失調の連続と、逃亡するのが見つかれば見せしめに暴行され、果ては命を落としたという
まさに血と汗と涙と、狂気と怨念すらこもった命の結晶。。。
どんなに無念だったろうと、気の毒に思う
そう思いを馳せていた矢先、こんなにいい天気なのに、どこか周りの空気は緊張感があって、あまりにも静かすぎて、わけもなく鳥肌が立ちました
。。。霊感なくて、心底良かった…(汗)
ここまで何事もなく無事たどり着けた感謝と敬意を払いながら、越川橋梁をあとにしました
ちなみに携帯の電波、届かないところなので、決して怪我などしないように気をつけてましょう
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歴史を埋もれさせないことが、犠牲となった方々への供養になるのだと思います
ぜひ、斜里町を訪れたら、越川橋梁に立ち寄ってみてください
単純な廃墟や廃橋好きなど、そんな興味の方向性でも、大歓迎だと思いますよ
終わり
参考URL
より詳しい解説、写真があります、ご参考まで